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大学のこれからを考える

Policy Seminar

講演録公開科学技術政策の歴史的経緯と現在の状況

2014年2月 5日(水)【講演録公開】
開催日時
  • 第5回科学技術政策セミナー
  • 2014年1月29日15:30-17:30
  • 大阪大学テクノアライアンス棟1F 交流サロン
  • 開催概要

    科学技術政策の土台となる科学技術基本計画が策定された歴史的な経緯と文部科学省における政策立案及びその決定について、お話いただき参加者の方々と参加者と共に議論をしました。


    Go Yoshizawa
    吉澤 剛

    大阪大学医学系研究科 准教授

    慶應義塾大学理工学部物理学科卒業後、東京大学大学院(科学史)修了。民間シンクタンクに2 年半勤務した後、2002 年よりイギリスサセックス大学にて科学技術政策を研究。2008 年にPhD を取得し、東京大学公共政策大学院・科学技術と公共政策研究ユニット(SciTePP)に加わる。2011 年より現職。2007 年よりNPO 市民科学研究室の理事も務める。専門はテクノロジーアセスメント、知識政策など。

    「科学技術」という表現をめぐる議論

    日本では科学技術となんとなく使っていますが、そもそも科学と技術を一緒にしていいのかというところに議論があります。科学というのは「世界を知るための知識」であって、技術というのは逆に「知識をもって世界を変える」という私の好きな言い方があります。それぞれが向かうベクトルは逆ですが、昨今では、お互いにまじりあって科学と技術が相互作用をしています。特に科学は、基礎科学と応用科学と表現することがあります。どういう価値を目指すのか、その目的の違いによって分けることもできるかと思います。具体的に言うと、これまで基礎科学と言っていた部分は知的・文化的な価値を生むいわゆるフロンティア型の科学と言えます。一方、応用科学と言っていた部分は経済的・社会的な価値、或いは公共的な価値を目指すミッション型の科学と言えます。

    さらに最近では、科学技術政策ではなくて科学技術イノベーション政策という表現を、政府でも使うようになっています。しかし、そもそも「イノベーション」とはなんでしょうか。通常、新しい製品を生み出すプロダクト・イノベーションと日本が得意とするプロセスイノベーションがあります。後者については、トヨタの生産方式のような形で、どんどん同じ自動車を製造し、生産プロセスを効率化していくというものも含まれます。最近では、プロセス、プロダクト、ポジション、パラダイムをあわせてイノベーションの4Pという言い方をします。例えばポジション・イノベーションと言って、必ずしもそのモノやプロセスが新しくなくてもイノベーションと言うのは起こり得る場合もあります。例えば、ハーゲンダッツは、昔は子供さんが買う普通のアイスクリームだったのが、昨今ではちょっと大人向けのテイス トを出して「ターゲットを変えた」ことによりヒットして、低迷から脱したという話もあります。企業の置くポジションあるいはターゲットを変えるということでイノベーションがおきています。或いはパラダイム・イノベーションのような話もあります。コンタクトレンズというのは、昔は「眼が悪い人が眼をよくするため」につけていましたが、そうではなくて実はコンタクトレンズは「眼をケアするものだ」と売り込み方をして売れる。商品としてはほとんど変わっていないけれど、そのパラダイム自身を変える、ということもあります。

    さて、政策における科学技術について、少し整理をしたいと思います。一つは、政策の対象が科学技術であるということが言えます。科学技術にどれだけ投資し、そこからある種のGDPに貢献するとか、どれだけの製品が売れるとかそういったことを見ることができます。一方で、やはり科学技術というのは、産業は言うまでもなく、医療・環境・エネルギー・IT・公共事業といったものすべてのインフラとして深く関っています。更に最近では、少し俯瞰的なレベルかもしれませんが、そういった政策そのものを研究するための活動も科学にしようということで、様々な階層で科学技術が言われるようになってきました。このあたりを多少整理しないと、科学技術政策は漠然と理解しても、なんのことをしゃべっているのかよくわからなくなってしまうので気をつけていただきたいなと思います。 

    科学技術基本法制定までの紆余曲折

    さて、科学技術基本法は1995年に設立しましたが、それまでの長い歴史というところを簡単に振り返りたいと思います。1956年に科学技術庁は設置されました。その設置の目的として原子力の推進という名目もありました。そのすぐ後、1959年に科学技術会議‐今の総合科学技術会議 の前身‐が設置され、科学技術庁の長官が議長になりました。科学技術会議の設置法に「人文科学のみに係るものを除く」というフレーズが入りました。これは、当時あった文部省とのすみ分けという形でありましたが、後々、枷になります。

    その後に、諮問第一号「10年後を目標とする科学技術振興の総合的基本方策について」 などある種の基本計画に近いものが出て、その直後に「こういった方策を作るにあたっては基本法のようなものがいるのではないか」という声や、「それにあたっては科学技術会議を改組する必要がある」ということで科学技術会議が議論をしはじめ、自民党とも相談をしました。ただ、やはり科学技術というのは学術全体で支えるべきだというのであり、法律を改め、人文科学も巻きこむ必要性を強く訴えました。それが、追加答申「科学技術基本法の制定について」です。

    しかし、その後、1966年3月に自民党文教部会から、やはり人文科学を対象とすることに意義ありとなりました。詳しい経緯はわかりませんが、文部省とつながりがあったということで、そのすみ分けをするという名目もあったかもしれませんが、やはり人文科学を対象とすることはできないということで、その基本法のドラフトから除かれました。それに対して、日本学術会議が反発をしています。日本学術会議としては、その人文科学も入れるべきだということを言ったのですけれど叶いませんでした。結局1968年2月に国会に提出されたものの、廃案になってしまいました。

    それから長い間かけて、この話は雌伏の時を迎えます。再び基本法の話が出てきたのは1993年8月の細川内閣(日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合連立政権)においてです。 初めての非自民政権が発足した後に野党に下った自民党が、野党としてなにかできることはないかということを探し、普遍的なテーマである科学技術基本法であれば関われるのではないかということで、当時の自民党科学技術部会の尾身幸次部会長を中心に「議員立法にしよう」、ということになりました。そこに自民党の大物議員である中山太郎氏も加わり、大きな超党派の国会議員グループができました。

    少し補足しておくと、1980年代後半頃から超党派で科学技術、技術戦略を考えるという動きは広まっていました。1980年代後半というと、日米の貿易摩擦が非常に深刻になった時代で、日本としてはアメリカのまねをするのではなくて、日本として技術に関する自分たちの戦略‐ナショナル・ストラテジー‐を立てなければならないという意識があり、国会にそのような機関が必要であるという認識もありました。特に、産業界の方が熱心に、超党派のグループに加わって議論をしました。更にそこに日本学術会議も加わり、まさに産官学が一緒になって揉んでいた時期がありました。そのような背景があって1994年頃に超党派の国会議員グループができた流れがあります。そして村山内閣(自由民主党、社会党、さきがけ連立政権)になった後もその議論が続き、結局自民党が与党に戻ったときに衆議院へ法案を提出し、1995年に施行されたという経緯になります。

    ただし、1995年に制定された科学技術基本法でもやはり、「人文科学のみに係るものを除く」というフレーズが入っていました。この背景はやはり、1950年代にできた科学技術会議の設置法からずっとこのフレーズは、科学技術に関わる法律の文言に入っているので、もしこの文言を修正しようと思ったら、関連する300ぐらいある法令を修正しなければならないという背景があったため、修正できなかったと言われています。が、詳細はよくわかりません。ということで、わりと慣性で「人文科学のみに係るものを除く」というのが入ってしまっています。科学技術基本法では、 特徴としては、第9条に「科学技術の振興に関する基本的な計画」を策定するというが記載され、より具体的には附帯決議として、「10年程度を見通した5年間の計画とし」とあります。これにより、科学技術基本法において5年間の科学技術基本計画を策定することが決まり、1996年に第一期の科学技術基本計画ができたということです。

    フロアとの意見交換

    参加者:現在、第四期科学技術基本計画のフォローアップ調査を行いつつあると思いますが、どのようなプロセスで次の基本計画にいかされるのでしょうか。

    吉澤:総合科学技術会議で議論し、次の基本計画に役立てるということなのですが、具体的にどうするかということは走りながら考えるという形になっているようです。そもそも、フォローアップ調査でなにをフォローアップするのかが決まっていません。より具体的に言うと、基本計画の中に、達成すべきアウトプットやアウトカムが明確に書かれていません。いわゆる数字で後追いできるようなものが何も書かれていないため、抽象的なものをフォローアップして、抽象的に答えるということになります。


    Tateo Arimoto
    有本建男

    政策研究大学院大学 教授/JST研究開発戦略センター 副センター長

    1974 年京都大学大学院理学研究科修士課程修了、科学技術庁入庁。科学技術庁研究振興局科学技術情報課長、原子力局廃棄物政策課長、理化学研究所横浜研究所研究推進部長、内閣府大臣官房審議官(科学技術政策担当)、文部科学省大臣官房審議官(生涯学習政策担当)などを経て、2004 年文部科学省科学技術・学術政策局長。05 年内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官、06 年から(独)JST 社会技術研究開発センターセンター長、2012 年4 月政策研究大学院大学教授(現在に至る)。科学技術基本計画の策定、ファンディング制度、研究開発の評価、科学的助言のあり方などの調査検討に従事。

    転換期における大学の役割

    吉澤さんの話では1956年(昭和31年)頃から、日本で科学技術の体制が本格的に議論されはじめた頃からの流れを振返りました。私からは、特に現在大学の抱えている問題或いは大学のシステム全体が大きな転換期にきているということ、また、科学と社会、或いは科学と政治との相互作用や緊張関係に関して話をしたいと思います。

    私はいくつかの大学の経営協議会のメンバーに加わっていますので自分自身の経験から少し話をします。私も含めて経営協議会のメンバーとして外部からメンバーとして入っているものは一生懸命ですが、大学側は聞いておくだけ聞くものの、あとは文科省にすり寄っているように見えてしまいます。それから「よそ者」として歓迎されていないと感じます。これは、文科省と大学との相互依存関係があるからでしょう。私も文科省の役人だったので残念ですが、大学の経営方針というのがそもそもどうなっているのか疑問を感じています。更に文科省だけではなく、今度は文科省と財務省との交渉があります。この二重三重の闇の中で、大学の大きな・いちばん大切な財務というところが決まっていくとしみじみ感じています。

    中央教育審議会で、大学のガバナンス、学長の選考のやり方を変えようという動きがでています。そういうものを受けて、大学において、学長選考会議や学長選考に関してこれまでの大学の伝統的な選挙をやめましょうという話になると、「民主主義 でなくなる」という意見がでます。やはり今は原点に戻り、大学の理念とはなにか、 総長や学長という人がどうあるべき人なのか、という議論が必要だと思います。

    国立大学外部経営協議員の経験から

    最近は運営費交付金と競争的資金のバランスの問題が話題になっていますが、運営費交付金を大学のガバナンスの強化なしに今の大学システムの中でそのまま戻したらおかしくなるだけだと思っています。もう少し関係者で議論をした上で仕掛けをつくって、例えばその大学の特長を伸ばす第二運営費交付金として大学に資金を入れるというデザインをする案も考えられます。

    さて、今日は大学の職員やリサーチ・アドミニストレーターの方が多いと思いますので少し古い話ですが「プロとしての大学職員」というものを紹介します。IDE大学協会の刊行物に書かれていたものです。関心のある方は全文読まれると非常によいことを書いてあると思います。

    これまでの大学の事務系職員の印象として、今まではこうだったと前例踏襲主義、受け身、新しいことは考えないように見えます。そして教員主導の大学運営だったので、教員への押しつけが起こり、教員がまた今度は職員化し、更に研究時間が減るという悪循環が起きています。このようなことがあったからこそ、リサーチ・アドミニストレーター(以下、URA)というものを制度(リサーチ・アドミニストレーター(URA)を育成・確保するシステムの整備事業)として入れようということになっていると思います。また、今後のあり方としては、職員と教員はイコール・パートナーだと思います。また、プロフェッショナルな職員が大学をリードするということも考えられると思います。大事なことですが、学長は数年、学部長は1-2年で変わるのだから、マネジメントはプロフェッショナルとしてきっちりするとい うことになるでしょう。

    プロとしての大学職員01 プロとしての大学職員02

    事務系職員と教員の間にURAを第三の職種としておいて、どれぐらい本当に成り立つか成熟するかということを私自身は長い眼でみたいと思います。ただ、正直なところ、一種のムーブメントではありますが、URAの存在感が薄いと思います。URAのアソシエーションができつつありますが、「自分たちだけ」でやっている印象です。もう少し広げて、政治家・行政官を呼ぶなど多様な人を巻きこんでムーブメントにする必要があります。URA事業は、時限を切った補助金です。そのあとは大学の自己資金で進めてくださいとなっていると思います。自分たち一人一人の立場、職種、雇用、生活、そして職能集団としてどうやったらいちばんいいのかということはアイデアを出してデザインをして行政ともつないでいくということが必要と思います。

    科学技術と社会との関係

    "World Social Science Report 2013: Changing Global Environments "という報告書があります。これはHPにアップされていますのでぜひ見てください。2013年11月にワールド・サイエンス・フォーラム(世界科学フォーラム:以下、WSF)がリオデジャネイロで開催されました。この世界科学フォーラムは1999年(平成11年)にハンガリー・ブダペストで開催された世界科学会議(World Conference on Science)を契機として、2003年(平成15年)から2年ごとに開催されています。世界科学会議は、ご存知のように「社会における科学と社会のための科学」を宣言したブダペスト宣言を出した会議です。この宣言が浸透しているかどうかレビューしようということで続いています。当初は、ハンガリー科学アカデミーと国際科学会議(ICSU)とユネスコが共催でブダペストにおいて開催されていましたが、今回は初めてリオデジャネイロで開催しました。このフォーラムの最後に宣言されました。以下の5つが重要なテーマとして挙がっています。

  • Harmonization of global and national efforts
  • Education to reduce inequalities and promote global and sustainable science and innovation
  • Responsible and ethical conduct of research and innovation
  • Improved dialogue with governments, society, industry and media on sustainability issues
  • Sustainable mechanisms for the funding of science
  • 率直に言ってこのフォーラムは500名ほど集まり良い面もありましたが、注意しないといけない側面もありました。ブダペスト宣言を思い出していただくと、「知識のための科学:進歩のための知識」「平和のための科学」「開発のための科学」「社会における科学と社会のための科学」とありました。これは私のバイアスのかかった見方かもしれませんが、これまでのハンガリーでのフォーラムに足を運んでみている経験から、今回のリオデジャネイロでのWSFは非常に政治的だったと思います。特に開発という点では、国際科学会議(ICSU)ではなくユネスコがリードし始めました。そういう意味で、このWSFはいったいなにものかというところが問われていると思います。これまでWSFはかなりフラットに科学者コミュニティの中で大事な機能を果たしてきています。科学者の知識のための科学だけではなく、様々な多様な価値というものが学問的にも政策的にも大切であるということを定着させるという機能を果たしてきたと思いますが、この点についてバイアスかかりだしています。 21世紀の価値や方向性を議論する公正中立なプラットフォームを維持していくというところに危機を感じます。

    その上で、2014年からEUではじまるHORIZON2020にむけてリトアニアの首都ヴィリニュス(Vilnius)において国際会議"Horizons for Social Sciences and Humanities "が開催され、ヴィリニュス宣言が発表されました。この中で、人文・社会科学について"incorporated"と書かれています。とても大事な言葉だと思いました。単に人文・社会科学研究者が科学技術の政策や科学技術のプロジェクトについて第三者的にアドバイスをするというだけではなく、その中に入り、一緒に研究をし、その研究の評価のための指標をつくるなど、そういった意味合い非常に濃いものだと理解しています。

    第二期科学技術基本計画を作る過程で、科学と社会という概念をコンセプトとしてはっきり打ち出しました。「人文・社会科学の専門家は、科学技術に関心もち、これとの関係について研究をおこない発言するとともに、社会の側にあるものについて重要な役割を担う」「媒介的活動が活発に行われるべきである」と、これは石井紫郎 先生が苦労して書かれたものです。私自身は、実は冷や冷やしていました。学術会議や人文・社会科学の学会等から猛烈な非難がでるのではないかと。実際には、その後日本学術振興会で人文・社会科学の大きなプログラム が走りました。3年で辞めた歴史もあります。先ほど吉澤さんが指摘した「人文社会科学のみに係るものは除く」ということは総合科学技術会議にありませんでした。しかし、科学技術基本法にはまだ残っています。

    フロアとの意見交換

    参加者A:「競争的資金を倍増しよう」という政策によって極端に競争的資金を増やす方向に走ってしまったというお話がありました。具体的に、どのように極端に走ってしまったのか、教えてください。また、各大学で整備されつつあるURAや研究支援部署の人が最初に取り組まれるのは、とっつきやすい部分として競争的資金の獲得を増やそうという動きだと思います。ですので、ここでまたパタッと競争的資金が減ってくるということになるとみなさんパニックになると思うのですがいかがでしょうか。

    有本:別の見方をされる方もいらっしゃると思いますが、歴史的なことを申し上げると第二期科学技術基本計画(2001年度-2005年度)でさっき申し上げた「第2期基本計画の期間中に競争的資金の倍増を目指す」ということを入れた時は、財務省とそうとうやり合いました。科学技術基本計画は、閣議決定文書ですから作成の過程では関係省の間で熾烈な争いになります。あたりまえですが、財務省からすれば倍増するのであれば財源は教育や科学技術の予算枠のどこかから出せと。その際にも「競争的資金も含めた基礎研究全体のバランス及び幅広い研究者の意見を踏まえつつ、資源を集中し、効果的・効率的に推進」と書いてあったと思うのですが、2004年に国立大学の法人になった途端、ご存知のように運営費交付金の1%減がはじまりました。財務省の言い方で、競争的資金で全体としては補助するからという言い方で進み、結果として基盤公費から競争的資金にまわっているという状況です。高等教育政策と科学技術政策がコンビネーションを組まなかった典型です。

    2点目ですが、私が今ここで競争的資金のバランスのことを話してもそれですぐになにかが動くようにはならないと思います。実態上はやむを得ないのかもしれませんが、そもそも競争的資金を獲得することを中心にURAを働かせるということ自身が残念です。抽象的になりますが、URAというのがいったい何のためにデザインをされて雇用されているのかというところで、その雇用者側のミッション・ステートメントを問いたいのです。大学の経営・教育・研究システムについて分厚い構造をつくるためには、こういうものが絶対に必要だというところに基本があります。それを前提とした上で過渡期として容認せざるをえないところはあると思います。

    参加者2:今、岩波書店から『シリーズ大学 』という本が出ています。その最終巻がもうすぐ出ますが、その中で座談会が行われています。ここに財務省の官僚が参加しています。そこで、彼は、今まで、他の予算に比べれば大学への予算は常にがんばって全納してきたつもりである。でも大学は少しも返してくれない。したがって、運営費交付金という固定の部分をもう少し薄切りから厚切りに切って、本当に改革をやろうとしているところに予算をつける。そういう形で、展開をすると言っていましたので、今後運営費交付金が減る確率は高いでしょう。競争的資金の割合を挙げるという方向になるのは、財務省の意思としては明確なように思いました。

    有本:歴史的な構造だから仕方ないのですが、高等教育政策と科学技術政策は分断されています。この問題点は言えますが、どうやってそれを行動にかえていくかと いう点では、制度の話と人というところに行きつきます。一方、財務省側の高等教 育政策と科学技術政策を司る担当主計官というのは一人です。この手の上に載っていると言えます。

    参加者C:霞が関の構造と大学の構造とどちらの方が変わり得るものだとお考えですか。

    有本:大学でしょう。

    *総合科学技術会議の前身:2001年(平成13年)1月の中央省庁再編に伴い、総合科学技術会議は内閣府に設置されました。議長は総理大臣になります。その後、2014年4月に総合科学技術・イノベーション会議に改組されました。

    *科学会議が答申した情報は文部科学省の下記サイトに掲載されています。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kagaku/toushin.htm

    *IDE協会:http://ide-web.net/index.php

    *World Social Science Report 2013: Changing Global Environments:http://www.worldsocialscience.org/activities/world-social-science-report/the-2013-report/

    *国際会議"Horizons for Social Sciences and Humanities ":この国際会議に大阪大学のURA2名が参加をし、大阪大学URAメールマガジンvol.1(2013年10月発行)にも記事として取り上げました。https://www.ura.osaka-u.ac.jp/uramagazine/vol_001.html#06

    *石井紫郎氏:専門は、日本法制史。日本学術振興会学術システム研究センターに深く関与し、人文・社会科学振興プロジェクト研究事業にも深く関与された。

    *人文・社会科学の大きなプログラム:人文・社会科学振興プロジェクト研究事業をさす。http://www.jsps.go.jp/jinsha/index.html

    *シリーズ大学: シリーズ大学の各巻テーマは下記の通り。第一巻「グローバリゼーション,社会変動と大学」、第二巻「大衆化する大学―学生の多様化をどうみるか」第三巻「大学とコスト―誰がどう支えるのか」、第四巻「研究する大学―何のための知識か」、第五巻「教育する大学―何が求められているのか」、第六巻「組織としての大学―役割や機能をどうみるか」、第七巻「対話の向こうの大学像」。詳細は下記サイトをご覧ください。http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028611+/top.html

    2018年3月24日(土) 更新
    ページ担当者:福島